Vol.60 はみ出し者の地平線 著:明媚 朋郎
「プロってのはその道で飯を食っていってる人の事を言うんだ」よく聞くセリフなんだけどさ、俺はどう考えてもそれだけじゃない様に思うんだよね。大体がさ、プロとアマの差とかスポーツだったら判りやすいけれど、それが表現活動だと線引きが難しい。プロとアマを誰が何の為に分けるのかは謎だ。しかもその間にまたセミプロとか言われる種類もある訳じゃない?俺には全然その線引きの意味がわからないんだよね。プロ意識ってのは解るよ、それは誰もがその道に心血を注いで本気で取り組んでいくと芽生えてくる責任感と自覚だよね。それは理解できるんだけど前述したプロって定義が理解できない。だって「私はプロだから」ってその道で生活しているって言うけどさ、例えば歌でだとする ね。大きなボーカルレッスン会社に入って生徒をあてがわれて何の資格も経歴もない人が先生と呼ばれる訳じゃないですか?この場合は歌で稼いでいる形になるのでプロですよね?その所謂一般に言われているプロの定義でいくとそうですよね。先代から受け継いだ固定資産税の安い家で歌のレッスンをする方が居るとするじゃないですか。カラオケ好きで歌でも教えようかってノリでさ、この場合もそのレッスン料金だけで生活をしていればプロなわけでしょ?なんだかその定義が俺は解せないんだよね。ハッキリ言って本当にダサいタームだと思うよ、マジで。それプロじゃん!それじゃあアマだよね!って言ってる人達って目を閉じて思い出して下さいよ、やっぱりそれモンのイタイ人達じゃないですか?パッ としない三流の集まりなんですよ!おおおお!じゃあ今アナタが口走った三流とはなんだと仰りたい方々も居ると思いますので目ん玉ひん剥いて私の書く活字を直視していただきたい。いいですか三流とは一流からは程遠い場所にいる箸にも棒にも引っかからない自意識過剰な程度の最も低い物をさす言葉です。私はプロだプロだと昭和の幻影に惑わされ、30年ほど前の擦り込まれた価値観を振りかざした挙句、自分の表現ではなく表現を利用したサラリーマンとして会社からお給料頂いているだけで、偶に取っ払いの知り合い集めた発表会をするぐらいでプロだプロだと豪語されても片腹痛いわけなんです。俺の言う一流って言うのは世間一般で言われるプロってカテゴライズされる物だけではありません、重なる部分もありますがそのプロって言われている価値観が全てではありません。自分の志した道に対する愛情、造詣の深さであったり、それぞれの表現のインパクトや深みであったり、勿論、世間一般での評価だったり、同業者からの評価だったり、 作品を生み出すスピードだったり、クオリティーだったり、スタンスだったり、立ち続けた年月だった り、そういったものが判断基準になるので「それで飯を食っている」とか「それで生活している」なんて事は何にも関係ないんです。どちらかと言うとそれで生活していく為に、どんどん自分の表現とはかけ離れていったり、守銭奴に堕落し表現が隙だらけになったり、詐欺まがいのボッタくりをしてしまうようになったり、プロと言う曖昧で糞古い基準にしがみ付くばかりで何一つ新しく素晴らしい作品を生み出せなくなっていった残骸や卑屈になって腐っていく輩達を目のあたりにしてきた。俺が思うにプロフェッショナルであろうとする意識は物凄く大切な事だと思う反面、所謂その道で飯食っているのはプロっていう価値観は捨てちまった方がいいと思うんだ。