Vol.53 はみ出し者の地平線  著:明媚 朋郎

フェイスブックっていいよね~。自分新聞みたいな感じでいいよね~。小学生時代、学級新聞係だったからこういうの大好きなんだよ!面白いと思うよ。否定する人も沢山いるけどさ、ブログとかだって俺はいいと思うよ。嫌なら見ない事も出来るしね。自分の思いを吐き出せられる場所はストレス社会に生きる現代人には必要不可欠なのかもしれませんなぁ。なんかさ、フェイスブックやブログやってる人は自己顕示欲が強いとか「出たがり」とか言われたりするんだけどきっとそうなんかもしれんけど(笑) バンドやって髪染めたり奇抜な恰好したり自分から何かを発信する人なんてそんなもんじゃない?なんかさぁ、ブログやフェイスブックをやっている人は「自己顕示欲が強い」だとか「出たがり」とか言われたりするのを耳にするんだけど、もうそのワンウェイな浦島太郎感覚が古すぎると思う。大体がさ、バンドやって髪染めたり奇抜な恰好したりしている僕の周りの仲間は勿論だけど、日頃引っこみ思案な友達だってフェイスブックとかブログでガンガン自分の言いたい事や自身を表現しているんだよね。

「それでも僕には必要ない!フェイスブックもブログもやらない!」(ドヤ顔)、チラッと伊達メガネ越しに酔わせた尻の軽い女に持論をぶつける殿方も居らっしゃるとは思いますが、これからの時代、本当に捲るめく移り変わりのスピード、そのまま取り残されて化石になっていってください。

俺は本気で思う、糞みたいな使い方(誰かを陥れたり、攻撃したり)をしなければ本気で素晴らしい物だ。だって何十年か後に見たら本当に細かい自分のアルバムになるんだよ!将来、何百年後とかに俺の子孫が手軽に見る事が出来るんだよ。素晴らしい事だよ!

世界中どことだって繋がれる。「ありがたみが薄れる」とか言われてるけどさ、「ありがたみ」なんてさ、その今の時代の価値観でいいと思うんだ。「昔は手紙書いて送っても何週間もかかっていたんだ」とかさ、言ってしまいそうだけど、今すぐ繋がるのであればそれに越した事は無い。

そんなこんなでね、フェイスブックを俺のお母ちゃんとお父ちゃんがやっていたらな・・・・なんて考えた。今ではこの世界に二人の存在は何にも残っていないけれど。フェイスブックがあったらな・・・・なんてね。

俺は完全に母ちゃんっ子だったからね。早くに死んじまって本当に淋しかった。母ちゃん。
今じゃDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)とか体罰とか社会で騒がれやすい傾向にあると思う、誰もが敏感に反応するような風習になった感じ。正直、個人的にはなんだかそんな社会は居心地が悪い。

お母ちゃんに顔が倍に腫れあがるぐらいドツキまわされる事なんて日常茶飯事。
今でも首には包丁を突き付けられた傷が残っているし、爪後も歯形も、あぶられた火傷もしっかりと残っている。
学校の先生には鼓膜を破壊され、歯を砕かれた。文字どおりボコボコにされた。
今じゃさ、先生に体罰を受けたら親が学校に怒鳴りこむって話でね
もう今じゃ先生達も親が恐ろしくて怒れないんじゃないのかな?変な時代だよ。

うちのお母ちゃんなんて「先生、もっと殴っていいのでよろしくおねがいします」なんて言っていた。大体何処の親もそうだった。よっぽど過保護な親じゃないかぎり。
「悪い事をしたんだから痛くて当然」「怒られるのが怖いから悪い事はしない」
短銃明快なメカニズムだ。そうやって大人になっていくにつれて悪い事をしてはいけない本当の理由や痛みを理解していくもんだ。