Vol.23 はみ出し者の地平線 著:明媚 朋郎
先ずはZONE-B三周年に心からお祝いを贈りたい。この先、永遠に存続していくことを心から願っております。通過点ではありますけれど五十嵐さん、スタッフの皆様、三周年おめでとうございます。そして唐突に告白します。中学生の頃の林間学校という行事を憶えているだろうか? 同学年の生徒と山奥の施設で連泊してキャンプファイアや野外炊事を行うアウトドア行事だ。それに行った私は大好きな女子生徒と寝る前のトイレで鉢合わせになり、彼女のプライベートな装い(クマさんのパジャマ姿)に気持ちは昂り、鼻息シュッポ!シュッポ!で見つめていると、彼女が「もう寝るの?私はストレッチして寝るわ」と言ってきたのを「もう寝るの?私はひとりエッチして寝るわ」と聞き間違えたのだ(「ストレッチ」を「ひとりエッチ」と聞き間違えた)。あまりにも衝撃的な言葉が大好きな彼女の無垢な表情、汚れを知らぬ唇から発せられたと勘違いした私はひどく動揺し「ま・ま・毎日してるの?」と興味の猛るままに聞いてみると「毎日しとるよ~。なんか疲れがとれるし、習慣になっとるからね~、しないと寝つきが悪いんよ」・・・なんということでしょう(劇的ビフォア・アフター風)!真っ直ぐ立っていられない程のエレクチオン!純粋そうな仮面を被ってなんて淫猥なメス豚なんだ!なるほどそれでテニス部か!ペニスとかけてやがったのか!どうしようもない変態女だ!と勘違いした私に止めの一撃「今度見せてあげるわ!バイバ~イ」・・・て何を?俺達まだ中学生だぜ!・・・そんな言葉を「聞き間違い」のまま本気にしていた私はある日、廊下を1人で歩いていた彼女に意を決して「そろそろオナニー見せてもらってええかな?」と問うたところ、思いっきり頬を叩かれまして「なんだよ!?お前から誘ってきたくせに!林間学校の時言ってたじゃねえか!ひとりエッチの話!」すると彼女「あんた本当にバカでしょ。私はストレッチと言ったの!」と、まぁそんなやり取りで自分の「聞き間違い」に気付かされた訳で、それ以来言葉の恐ろしさを人一倍考えるようになったのは確かな事実でして、この事件は間違いなく自分の言葉に対する意識の変革をもたらしたんです。言葉の重要性、そんな事に気付き始めたのも丁度その頃だったように思いますわ。私はバンド活動と並行して執筆活動も依頼を受ければ出来る限りやっているのですが、最近その量も増えてきていましてディスク・ユニオンから発売されているOi!シリーズのライナー・ノートに限っても今回のCock Sparrer “shocktroops”で5作目となります。モニターの前に座りキーボードを叩けば指一本で大概の情報は得られる昨今、良くも悪くも巷には情報が飽和状態で、どんな憧れも尊敬も、そして怒りも憎しみも全てが身近になり、悪く言えば安っぽくなってしまった様に思う。それでも尚、私達の信じるパンクの名は地に堕ちないのだが。言葉に想いを込めて書きなぐったり、言葉に一喜一憂して泣いて笑ったり。想いを馳せた手紙に海を越えてもらったりしていた。自分にとって声として発する言葉と読む活字というものには本当に特別な思いがありましてね。今日はそんな自分の考える「言葉」の話をしようと思います。少年時代を過ごした地元では先輩達が流行を作っていた為、とっくに解散したビート系のバンドや全然タイムリーじゃないバンドが流行っていて俺達はその先輩が作った流行に完全に踊らされていた世代なわけで。(自称)血が緑色(らしい)の先輩、ジャスコの駐車場裏で100人をヌンチャクで血祭りにあげた(らしい)先輩(目撃者無し・ヌンチャク腕前披露も無し・おかんパンチパーマ)等がくれた編集テープを何度も聴いて音楽にどんどんハマっていったんですが、一緒に歌いたくてもダビング・テープな代物なもんで歌詞は聴きとるしかなかったんですよ。当時、心酔していたBOØWYなんて歌詞がメッチャクチャで聴きとり不可能でしょ。けど諦めずに自分なりに聴きながらノートに書いていくんですよ。そのうち歌詞カードを入手して、自分がテープから起こした歌詞と比べてみると唖然とするわけ。「こんなにも違うのか」って意味じゃなくて、やっと手に入れた歌詞カードの歌詞があまりにもチープで中身が無くて愕然としたのを覚えているわ。恋愛がテーマな曲が多かったからなのかな?誰もが恋に恋をしていた中学時代、その点では響く言葉もあったのだけど、もっと心に刺さる言葉を欲していたのは事実。なんて言ったらいいのかわからんけれど「真実味がある言葉」を本気で探していたように思う。メッセージ系ならこれを聴け!と、また先輩からテープを貰ったんですが・・・長渕は説教くさくて、尾崎は甘ったるくて、ブルーハーツはワザとらしくて、ジュンスカは可愛すぎて・・・そんな感じの印象を抱いていた。ハマりはするんですよ「うわ~カッコエエ!最高じゃ!」って。けど直ぐに飽きてしまう。好きだったものを否定してしまう悪い癖があるんです。BOØWYのコピー・バンドをやっていたのですが心のどこかで「このスタイルは完全無欠じゃない」と思っていたのも正直な話で、パンク・ロックを体験するまではその募る疑心が何なのかさえもわからなかったけど。ある日、街で噂のパンク・バンドのライブを見に行った。俺と同じ歳で「甲本ヒロトのいとこ」が居るって評判のそのバンドは大きな声でカウントを入れ、いきなりザ・クラッシュの「白い暴動」1曲だけを演奏して「俺達が正しい!」と言い放ちマイクを投げてステージから去っていったんだ。度肝抜かれたでそりゃあ・・・。なんか言葉の意味はよくわからんけれど俺の信じていたものが急に恥ずかしく思える程の衝撃は同時に彼等の演奏した曲への興味に変わり、パンク・ロックへの興味に変わっていったんだ、純粋に。ザ・クラッシュの二枚組のCD、ストーリー・オブ・ザ・クラッシュを入手して歌詞を、対訳を、ライナー・ノーツを読んだ瞬間に探していたものが見つかった気がした。間違いなく「言葉」に救われた瞬間だった。読み手の人生を変えてしまう恐れがある事を知っている書き手の文章には間違いなく意志が宿っていた。読み手も本気なら書き手も本気だった。糞の様なライナー・ノーツも山ほどあるだろうが時代に風穴をあけるような意志の結晶の如く優しく強いライナー・ノーツもある。勿論言葉だけじゃないのだけれども意志の宿った言葉は活字であれ発せられた言葉であれ時代も海も山も越えてダイレクトに心に刺さるのだ。自分がライナー・ノーツを書くときに一番注意しているのは勿論、間違った情報や誤植なのだろうけれど、それと同等に注意を払っているのは熱がこもっているのか?意志が宿っているのか?それを人が読んで、その人の人生を変えてしまう覚悟があるのか?俺達が胸を焦がしたように、世界に伝えたいことがあるのか?現在は言葉が沈黙する時代だ。今、俺も含め文章を書く人達全てに在り方を問われている様な気がしてならない。今はペンの時代じゃないけど、いいか!言葉は剣よりも強く、映像よりもリアルで、写真よりも鮮明でなければならないのだ。全ての物書き達よ匂い立つ様な本気の言葉で絶望を埋め尽くしてしまえ!