新連載!Vol.49
はみ出し者の地平線
著:明媚 朋郎

とうとうザ・プリズナーが次作の準備に取り掛かった。
それに伴いホームページもリニューアルする模様。
レーベル移籍?メンバー増員?噂が飛び交っていますが全く何も決まっていません(笑)
メンバーからのコメントとプリズナー・ヒストリーを送ります。

オサム「いいか、よく聞くんだ。ギターは弾くモノじゃない、奏でるモノでもない、心のままに掻き鳴らすモノさ。心のままに。」

トモノリ「九回裏の二死満塁。4対1でバッターは俺。身ぐるみ剥されちまったけどハートまで盗られてたまるか!リッケンバッカーぶら下げてネクストバッターズサークルから愛を込めて」

ダイゴ「ここまで辿り着いてくれてありがとう。誰が何と言おうと音楽はフェアな生きもんだ。アンタ自身が好きなようにジャッジしてくれ。いつかどっかの街で一緒にブチ揚がれる日を願っている」

タカシ「「俺?俺は酒もヤル。タバコもヤルし博打も打つで。どっちか言うたら大好きや。けどな、ベースだけは比べ物にならへんぐらい大好きなんよ。別格。特別に愛しているんやろねロックンロールと同じ様に。」

クロ「小さい頃は鍵盤て、本当は興味あっても『女の子じゃあるまいし』って自分で勝手に思い込んで敬遠してた。けど弾くにつれて、音楽に、楽器に真摯に向かい合う様になって印象は変わったよ。」

ナナ「歌を歌っていなかったら嫌な女になっていると思うわ。私、昔はコンプレックスと妬みの塊だったの。バンドで歌を歌って全てが変わったの!歌に恋して、大切な人や仲間が出来て。歌と共に生きていく私の人生。私の人生は歌と共にあるの。」

ジュンイチロウ「世界を変える事は出来ないだと?すりこまれ使い古され、聞き飽きた台詞だ。俺の世界は確実に変わったぜ!勘違いしてねえか?俺の言う「世界を変える」って文化やルールを変える事を意味してない。意識と心の天気を変える事が全てなんだよ!」

【バンド・ヒストリー】

ザ・プリズナー。2004年に結成。もう少し詳しく言いますと、自分が結成前にやっていたバンド(ジ・アヴォイデッド)が変名してザ・プリズナーと名乗っていたというのが一番的を射てるし解りやすい説明ではないでしょうか。バンド名は当時のメンバーが考えた。メンバーは前のバンド(ジ・アヴォイデッド)のメンバーにナナをプラスした5人編成で始めた。ナナは当時、ほぼ毎回ライブに来てくれていたんだよ、まだ17歳ぐらいだった筈だよ。パンクのライブに来るからってパンク・ルックにならない頑固さが好印象だった、自分のスタンス、価値観がしっかりしていた。後ほど発覚するオツムの出来は別としてクレバーな印象だったんだよね正味(笑)。新宿ロフトでメンバーに入ってほしいと告げた、確か自分のバンドの解散ライブの時だ。それからスタジオに入り何度も何度もぶつかりあって練習に明け暮れた。泣きながらスタジオを飛び出す事も何度もあった(結局戻ってくるのだが)。3ヶ月もたたずメンバーはナナ以外入れ替わっていった。パンク・ロックを追及していくが故に既製のパンク・ロックの模倣に終始する表現が俺はどうしても嫌だった。飽きたって言うより嫌悪だったんだよね正直。だって俺は周りの年下のイエスマンに頷いてもらいたいわけじゃないし、別に外人になりたいわけじゃない、誰かと同じ恰好する為にパンクが好きになったんじゃない、自分自身になりたかったんだ。だから否定するしかなかったんだよ。そもそも「俺とお前は一緒だ」って価値観が理解できなかった。「俺と君が違うのは当然。そのうえで理解して解り合おう」とは誰も言わなかった。どれだけ昔のパンクバンドに似ているか。それを競い合うだけに思えた。ハッキリさせた かったんだと思う。自分の事を、自分の歌を歌うと煙たがられる時代だったよ、間違いなく。インディビジュアリズムなんて掲げても、見えない階級に対して歌っても、蔑んだ目で見られるのがオチだった。「真面目だね」「熱いよね」、それらの言葉は揶揄する為に使われるようになっていったんだ。本来の意味は蔑にされて。自主盤の売り上げで養護施設に寄付しただけで売名行為なんて正気の言葉じゃないよね。そんな感じの耳を疑う事が多かったよ。「そもそもお前はパンクじゃない」なんてよく言われたんだよね。けど間違いなくそういう否定的な多数側のアンチな声が俺の進むべく方向性だったり、自分自身の表現方法に対して「これでいいんだ」と疑心が確信に変わるキッカケになったのは確かなんだ よ。何処何処のバンドの○○がギターを担当!そしてあのバンドから○○がベースとして参加!みたいな寄せ集め的なオールスターバンドとは確実に一線を画したかった。どんなブームも関係なかったし何処の系統にも属さなかった。落ちこぼれの第三野球部、そんな感じでカウンターな行動を起こしたかった。本気で10年先を見据えて始めたんだ、スタミナと言葉は溢れていた、3回生きても黙らない程やりたい事も言いたい事も溢れていたんだ。18歳の女子高生と28歳の日雇い労働者がヴォーカル。そこに地方から出てきてジャパニーズ・ドリームを本気で叶えようとしていたけど歳追うごとに萎んでいっていたアラサー(アラウンド30)日雇い労働者の中からメンバーを探した。仕事場の同僚に平日のライブに呼ば れ、見にいったら客5人とかでさ。「俺達最高!」なんて打ち上げで強がっていたけど笑えていなかった奴に声をかけた。「そのまま終わるつもりか」って。面倒くさい事に箸にも棒にもひっかからないバンドやっていても、否、むしろ揉まれていない分そっちの方が腐ったプライドと講釈だけは一丁前だって相場は間違いない。自意識だけは過剰なもんで仕事場で何度もぶつかりあうんだけど奴等、悔しさも何もかも酒で全部流してしまうんだ。本来、家に持ち帰って本気で向き合わなければならない事柄も全て。だから時間と酒に流されて何人も腐っていくのをこの目でしっかりと見てきた。バンド結成当初は喧嘩ばかりしてたよ、メンバー達と。「ライブハウスの階段で俺に肩ぶつかってきやがった奴がおんねん !パンクのカッコしとったぞ!お前言うて聞かせとけや!誰や思うてんねん!」だの「俺は自分自身のソロを出す為の踏み台としてこのバンドをやっているから、バンドに全然執着は無い」だの、そりゃあ好き勝手言うメンバーも居た。しょうがないんだよね、まともなライブもやった事なくてフライアを作って配った事もない様な右も左も解らない青二才の集まりだったから。ツアー先でバンドの出順一個くりあがったらもう世界の終りみたいに「どうすんねん!友達失くすわ!うわ~最悪や!どうしてくれんねん!俺友達失くしたら!」とか(出順くりあがって時間早くなって「時間早くなったの?ほんなら友達関係解消な!もうええわ!」ってなる友達っておるか?・・・・・おらんで普通。しかもそれでゴネ てるバンドマンなんて見た事なかった・・・まさか自分のメンバーにそんなんが居るとは!バンドが遅れて順番変わるとか全然あるからね、そのたびに友達失くすんだったら付き合い方考えた方がええで!)、本気で当時悩んだ。どうやって上手くやって行くか、メンバーに伝えていくかって事に物凄く神経を使った。自分自身の不甲斐無いプレイを日頃の疲れやストレスと定義して全く疲れない状況をメンバーの協力の下作り出しても大間違い!そのくせ平気な面でほくそ笑んでやがるのも居るからね。価値観って言うか意識が物凄く低い感じやった。

それでもさ、俺は結局そんなメンバー達と一緒にやって行きたいんだよね。大好きなんだろうね、メンバーの事が。そんなこんなで集まったバンドのメンバー。今はもう全員が全員協力的で自分のやるべき事をそれぞれ心得ている感じ。こんな素敵なメンバーと終わりの無い旅に出かけたわけで。それが今でも続いているなんてトキメキが止まらないってこの事さ。

そもそも俺は養護施設で初めてザ・クラッシュの「白い暴動」を聞いた時にこれしかないと感じたんだ。自分自身の暴動。自分の中で自分自身の暴動が勃発したんだ。
なんだかんだ言って、俺は今のメンバーが最高だと思っている。
このメンバーじゃないとプリズナーじゃない。
あの頃の気持ちは忘れていないぜ。
「ライブ呼ばれたで!出ようや!」「当然じゃい!全部出るで!」
あの頃の気持ちのままさ。受けられるもんは全部受ける。
毒も涙も全部残さず喰ってきたんや。何だって何処だってやらせてもらうで。
さささ、プリズナー御一行のお通りですぜ!道をあけるな!道を塞げ!
声高らかに歌い出せ!
次はアンタの街で会おうや!

▲ トップに戻る

Copyright ZONE-B.