この度ゲリー・ブシェル監修の「Oi! THE ALBUM」「STRENGTH THRU Oi!」「CARRY ON Oi!」が初の日本盤としてリリースされることになりました。
ライナー、帯を書かせていただいた私がこの一連の商品を少しだけでも紹介出来ればと思い、この場を借りて自身の体験や持論、ライナーからの抜粋文を書き殴っていこうと思います。
夜中にパンクの恰好で地元の駅の地下を歩いていると、クロンビー・コートの坊主頭の奴に絡まれた。どう見ても年上の連中だ。ハリントンを着てポーク・パイを被った奴や、漂白に失敗したようなジーンズを穿いた奴、皆ゴツイあみあげのブーツを履いていた。「何だ?お前パンク好きなのか?」と迫られ「ああ大好きじゃい!」と答えたら彼等は笑って「座って話でもしようや」と急に仲良くしてくれたのを昨日の事の様に覚えている。人生で初めてスキンヘッドとOi!を知った夜だった。色んな事を教えてもらった。腹を割って話が出来た。「SHAM69ってバンドは、お前みたいな奴の為の曲を演奏するバンドだ」とか。これ聴いてみなよと4SKINSを聴かせてくれた。何より当時発売したばかりの西日本のスキンヘッド・オムニバスCD「バースト・アウト」を教えてもらい、それに触れて体中の細胞がそれを欲していたのを感じるほどの衝撃を受けた。これしかないと思って頭を剃ってサスペンダーをした。靴は安全靴だったけど・・・
1970年代後半パンクは商業化された(一部は除く)。セックス・ピストルズは消滅し、クラッシュは原型を留めぬほどに深化し、付随するバンド達もまた大きく変化していった。社会情勢は悪化の一途を辿り階級の軋轢、移民コミュニティー、失業者は街中に溢れだし、オフィーシャル・フーリガンの警察の不祥事、政治問題と社会は歪み腐りきった。
群衆の日頃蓄積された怒りの捌け口はストリートに叩きつけられた。フットボール・テラスやコンサート会場はタダならぬ興奮に包まれていたはずだ。
THE BUSINESSのSUBURBAN REBELSはサウンドも歌詞も痛快な曲だ。「どうせお前らは銀行員の子供だろボンボン風情が!トム・ロビンソン(トム・ロビンソン・バンドのフロントマンでゲイである事を公言しゲイなどのマイナリティーの権利を主張する中産階級出身のミュージシャン)の親衛隊なんてどいつもこいつも流行りのオナニー野郎だ!ラッパ・ジーンズ(死語)もアノラックも着ていられるか!!そんなもん!!」「由緒正しい学校に通い便所の壁にスローガンを書いて過ごす。面の皮の厚いトニー・ベン(イギリス極左の政治家)クローンを気取りやがって。カマやトンカチを掲げて振り回しているけど、ユニオンジャックをなびかせんかい!集団でいるときはいきがって喋るクセに一人になると何も言えない臆病者が!」と・・・俺はねOi!ムーヴメントのこういうところが大好きなんです。これを読んでいる人でトム・ロビンソン・バンドが好きな方は気分を悪くされるかもしれませんがTHE BUSINESSはそう歌っているのです。時にはTHE CLASHでさえもこのムーヴメントでは揶揄されるのです。階級闘争も含んだこのムーヴメントは、だからこそ労働者階級に圧倒的に支持されていたのではないでしょうか。俺が支持する理由もそこにあるのです。
自分がパンクを真正面から体験したのは、ザ・クラッシュのベスト盤(しかも日本盤)。歌詞カードの文字とスピーカーから飛び出してくる音に正に「横っ面を一撃」された感じだった。それからはズブズブとパンクにのめり込んで国内のパンクバンドを聴き漁り、海外のバンドを聴き漁り、パンクな服装をして夜中に街を歩き回っていた、否、正確には何かを探しまわっていたのかもしれない。しかし次第にまわりの既成のパンクにも飽きてきていたのも事実だった、リアルが感じられなかった。カッコばっかりに思えて、怒ったりイカレタ表情も全部演技に見えた。自堕落な生活を送り退廃を気取る親のスネかじりが大嫌いだった。ラリって狂ったり自殺したりする奴を見るのが辛かった。孤児院から飛び出し3畳の寮で墓石屋に住み込み生活していた俺にはもっと強烈な何かが必要だった。
アートスクール出身の良い子ちゃんのオシャレや反逆じゃなく。金持ちの道楽の反抗じゃなく。リアルが欲しかった。
このジャンルには色んな先入観があると思う、政治思想だ、右だ左だ、日本語だ英語だ、この国にもこのムーヴメントが飛び火して未だに燃え続けているシーンがありバンドがあり愛するリスナーがいる。私達の2010年に時を越えて今問いかけている最も強力で偉大なストリート・パンク・コンピレーションを思う存分楽しんでください。最も強力で偉大なストリート・パンクは今後も錆び付く事はなく君の胸に宿り続けることになるでしょう。STRENGTH THRU Oi! 生きろ!強く!(最後に快く親切に歌詞を教えてくれて偉大な言葉をかけてくださったフランキー・フレイム氏に感謝)